体をつかった遊びが学びと一体になっているようなシュタイナー学園の学びは面白かったし心地よかった。

体をつかった遊びが学びと一体になっているようなシュタイナー学園の学びは面白かったし心地よかった。

19期卒業生 上田樹一さん 前編

上田樹一さん
シュタイナー学園第19期卒業生の上田樹一さんは、主に木を用いた家具や内装を制作するユニット「NIWATORI」を立ち上げ、現在福井県にアトリエを構えて活動されています。学園に通っていた頃は自然の中で遊ぶことやものづくりが楽しくてしょうがなかったという上田さん。シュタイナー教育に出会ったきっかけや、学園での学びについてお話を伺いました。


シュタイナー教育に出会ったきっかけはなんだったのでしょうか?

親戚が京都のシュタイナー幼稚園に通っていたのをきっかけに母がシュタイナー教育を知り、共感し、4つ上の姉も自分もシュタイナー幼稚園に通い始めたのが出会いです。その頃は名古屋に住んでいたので、名古屋にあるシュタイナー幼稚園に通っていました。小学校は公立に進学したのですが、父の仕事で転勤が決まり、東京に行くことになったんです。それならばという感じで、藤野のシュタイナー学園に2年生の2学期から転入学で入りました。

転入されて戸惑いなどはありましたか?

まだ幼い、頭の柔らかい時だったので、疑問や戸惑いもなく、楽しく学園の生活に入っていけました。ただ、シュタイナー学校では1年生から外国語の授業があって、最初から最後まで全部英語で行われるんです。最初はなにがなんだかわからず、宇宙人のような気持ちになったのを覚えています。でも、それもすぐに慣れましたね。

印象に残っている学びはありますか?

4年生で取り組んだ『家づくり』は印象に残っています。毎年、クラスごとにいろいろな形態の家を作るのですが、僕たちのクラスは木を生やしてティピ ※1 のような家を作りました。担任の先生は石橋先生という女性の先生だったのですが、クラス全員のお母さんのような存在でしたね。あとは、歩いて通学ができる学年になってからは、とにかく駅から学園まで歩いていくのが楽しかった。僕は高尾からの電車通学だったので、藤野駅からはバスに乗って学園に行けるのですが、友達と待ち合わせて山道を1時間くらい歩いて毎日通っていました。雨でも雪でも、とにかく歩きたかった。そのためにわざわざ早い電車に乗ってきて、歩いていました。自然の中で体を動かして遊ぶことが大好きだったので、体をつかった遊びが学びと一体になっているようなシュタイナー学園の学びは面白かったし心地よかった。でも高学年になってくると、シュタイナー教育に対してどこか斜にかまえて、疑問を先生に投げかけたりもしましたね。『オイリュトミー ※2 って何のためにやるんですか?』とか(笑)。今となってはオイリュトミーすごくやりたいんですけど。

外部の学校に行こうとは思わなかったのでしょうか?

それでもやっぱりシュタイナー教育の学び自体がずっと楽しかったというのはあって。それで進学した高等部の10、11、12年はさらにすごく楽しかったんです。中学までしかない横浜のシュタイナー学校や外部からも進学してくる人がいて、クラスのメンバーも変わりました。今、家具・内装の制作ユニット『NIWATORI』として一緒に仕事をしている大西くんとも高等部で出会ったんです。高等部の校舎にある工具を使って、大西君とやりたいことに必要なものや、欲しいと思ったものを作ったりしていました。例えばスキーやりたいよね、とスキー板を作って階段を滑り降りてみたり(笑)。高等部は担任ではなくアドバイザーというかたちでクラスに先生がついてくれるのですが、僕たちのアドバイザーは浦上先生と根岸先生という母親のような2人だったので、『あなたたち、階段はやめなさい階段は』とか言いながら、そういう姿も見守ってくれていました。とくに高等部になってからは、先生たちは僕らが自分たちで考えて動くことを、一歩引いて見守ってくれているような存在に感じていましたね。

学園の学びや生活を通して、自分の好きなこと、やりたいことに存分に向き合い過ごしていた上田さん。後編では卒業後、自分の道を見つけ出し、進んでいった経緯についてお聞きします。

※1 ネイティブアメリカンの移動用住居の一種で、一端を束ねた木の棒を広げ地面に建てて支柱とし、革やキャンバス布を被せたもの
※2 シュタイナー学校独自の芸術科目で、言葉や音楽を、動きを通して表現する身体芸術


ライター:中村暁野