最高に生き生きしている姿を見ていると、この子はきっといつか自分の好きな道を自分で見つけて進んでいけるだろう、と信じることが出来るんです。

最高に生き生きしている姿を見ていると、この子はきっといつか自分の好きな道を自分で見つけて進んでいけるだろう、と信じることが出来るんです。

山田一郎・薫さん夫妻インタビュー前編

山田一郎・薫さん夫妻
シュタイナー学園から山道を下った先にある芝田と呼ばれる地域に暮らす、山田一郎さん・薫さんご夫妻。山田さん一家は昨年ドイツから帰国し、藤野に移り住みました。ドイツのシュタイナー学校に通っていた3人のお子さんたちは現在、それぞれ11年生、7年生、3年生としてシュタイナー学園に通っています。「ドイツにいても日本にいても同じことをしている」と話す山田さんご夫妻に、日本、そしてドイツのシュタイナー教育について、子育てで大事にしていることについて伺いました。

シュタイナー教育と出会ったきっかけはなんだったのでしょう?

薫さん 長男が小さかった頃、「自然育児友の会」の会報にシュタイナー教育について書かれた文章が載っていたのを読んだのが、最初の出会いだったと思います。共感できることが書かれていたので、シュタイナー教育についての本を読んでみたら、子育ての中で自分が感じていた違和感や疑問について、とても納得できることが書かれていた。例えば、子どもがテレビをつけた途端、魂が抜けたようにテレビにくぎづけになっている姿を見て、これは良くないな…と感じていた自分の気持ちを裏付けてくれるような、「そうそう、そうなんだよ!」と思えることがたくさんシュタイナー教育にはあったんです。
一郎さん 僕は父親が教師で、実家の本棚に子安美知子さんの「ミュンヘンの小学生」が並んでいるような家で育ちました。シュタイナー教育について詳しく知っていたわけではないけれど、ある意味自分が家庭の中で受けていた教育とつながる部分があるようにも感じました。

とても共感したというシュタイナー教育をお子さんにすぐ受けさせたのでしょうか?

薫さん まず長男は地域のお母さんたちで運営する自主保育の園に通ったんです。それがすごく良かった。子どもも親も、支え合えるコミュニティの中で、とにかく夢中で外遊びをしながら、育っていけるような環境でした。小学校に上がる時、すごく迷って、関東圏にあるシュタイナー学校の見学にも行きました。それでもやっぱり遠いということと、一緒に育ってきた地域のコミュニティは捨て難く、代々木にある「東京シュタイナーこどもの会」の土曜クラスに通うことで、週に一回シュタイナー教育に触れながら、公立の小学校に進学することにしたんです。

迷った末に進学した小学校生活はどうでしたか?

薫さん キラキラの子ども時代から一転。親子共に奈落の底に突き落とされました(笑)。
一郎さん 通った小学校が子どもをガッチリと管理する方針で、繊細でいろいろなことを感じるタイプの息子には合わなかったんです。自分が叱られているわけじゃなくても、誰かが先生に大声で叱られていたりするのを見るだけで苦痛だったようで、毎日学校の金網にしがみついて「嫌だ〜!」と叫んで登校するのを抵抗していました。
薫さん 当時2歳だった次男を連れて、長女妊娠中の大きいお腹でわたしが毎日授業にもつき添ったり、どうしても行けない日は理科の授業と称して山に連れて行ったりと、しばらく試行錯誤してみたのですが、「やっぱりこれじゃだめだ、学校を変えよう」と思うようになりました。
一郎さん 隣の学区の小学校は同じ公立の学校でも随分と雰囲気がちがっていて、もともとそちらに通えたらという希望を持っていたんです。それで教育委員会に話をしに行ったり、書類を何枚も提出したりして、越境して通える許可をもらいました。
薫さん 転校後、長男は学校に通うようになりました。次男の小学校入学もあり、越境にならなくて済む学区内の家を探し、同じ世田谷区内で引越しをして、長男は6年生、次男は2年生の時までその公立の小学校に通いました。それでも次男も入学したばかりの頃は、時々「どうしても学校に行きたくない」という日がありました。わたしはそういう日は休ませて、好きに遊んでいいと伝えていました。1日家の裏にある川で魚をとったり、思う存分遊んだ方が次の日は嫌がることなく学校に行ける。無理強いさせるよりも、学校という環境に子どもが徐々になじんでいけるようにと思っていました。その間もシュタイナーの土曜クラスにはずっと通っていて、そこでの繋がりは大変な時の支えになりました。その時期その時期の子どもの成長について、先生や保護者の方々と共有し、話し合いながら過ごせたことは本当に大きな救いでした。

 

黄金の子ども時代を過ごさせたい

 

合わないことがあっても、頑張って学校に通わせなければいけない、と思う親御さんも多いと思うのですが、いつもお子さんを尊重されているように感じます。なぜそう出来たのでしょうか?

薫さん 子どもの輝いている姿を間近で見てきているからかなと思います。最高に生き生きしている姿を見ていると、この子はきっといつか自分の好きな道を自分で見つけて進んでいけるだろう、と信じることが出来るんです。それが学校に行って、曇っていく姿を見ていたくなかった。輝いた姿のまま、成長していってほしいというのが一番。
一郎さん うちには教育方針みたいなものはないんだけれど、「黄金の子ども時代を過ごさせたい」というのを、唯一夫婦でテーマのように掲げていて。子育ての一場面一場面ではきっと悩んできたのだと思うけれど、シュタイナーの土曜クラスがあって、地域のコミュニティがあって、そういったものに助けられながら、やってこられたんだと思います。
薫さん 地域の中で親子の場作りをしてきた先輩お母さんたちがいて、そんな方々とつながり、あとを引き継いだりもしていたんです。東京でも緑の中で子どもが思う存分身体を動かし遊べるプレーパークを整えたり、公園に木を植えてより遊びやすい場所にしたり。当時住んでいた場所が本当に大好きでした。

そんな場所を離れ、ドイツに行かれたきっかけはなんだったのでしょう?

一郎さん 仕事上、海外で働くチャンスをずっと探していたのですが、ちょうど長男が小学校を卒業、長女が幼稚園に入る時期のタイミングで、チャンスが巡ってきました。
薫さん 長女が生まれた後に、東日本大震災と原発事故が起こりました。何より外遊びが大好きな子どもたちが触れたり口にしたりする土や食べ物に不安を抱えながら過ごす日々に疲れてしまい、どこか別の場所で暮らすことを考え始めたんです。引っ越すならば今度はシュタイナー学校のある場所に行こうと思い、いろいろ探していたら、夫から思いがけない提案をされたんです。
一郎さん 「ドイツがあるじゃないか」と(笑)。もともと勤めている会社の海外の支部にいつか行きたいと漠然と思っていたのですが、ドイツならシュタイナー教育の本場だし、これはいいんじゃないか、と思って。
薫さん やったー!本場のシュタイナー学校にいける!と、家族の誰もドイツ語は全く話せないのに、ドイツ行きを決めたんです(笑)。

 

思いがけないきっかけから、家族でドイツで暮らすことになった山田さん一家。後編ではそうして始まったドイツでの生活とシュタイナー学校について、そして再び日本に戻り、藤野のシュタイナー学園に転入するまでのお話を伺います。


ライター:中村暁野

後編へ