シュタイナー学園での時間は『進路を決める』ためのものではなく、 やりたいことを見つけていく、その後押しをしてくれるような時間だった

シュタイナー学園での時間は『進路を決める』ためのものではなく、 やりたいことを見つけていく、その後押しをしてくれるような時間だった

10期卒業生 藤井拓麻さん(前編)

藤井拓麻さん
シュタイナー学園第10期生として高等部に編入された藤井拓麻さん。現在相模原市で、ご自分のお店であるドイツパン専門のパン屋ハウミューレを営まれています。在学時には自分がパン屋になるとは想像もしていなかった、という拓麻さん。シュタイナー学園との出会いから、現在に至るまでのお話を聞きました。


シュタイナー教育と出会ったきっかけを教えてください。

もともと母がシュタイナー教育に関心を持っていて、小学校4年生から6年生まで土曜クラスという土曜日だけ開催されるシュタイナー教育のクラスに通っていました。当時町田に住んでいたのですが、町田で開催されていた土曜クラスは、後に藤野のシュタイナー学園で教えられる不二先生が受け持っていました。中学になってからは月に一度開催されるクラスに参加していましたが、当時はそれを『シュタイナー教育』だと意識はしていなくて、みんなで集まって蜜蝋ろうそくをつくったり、フォルメンを描いたり、遊んでいるという感覚でした

一度は公立の高校に進学されたと聞きました。地域でも有数の進学校だったそうですね。

公立の中学から高校に進学したのですが、面白くなかった。高校を卒業して大学に行って、会社に入って、働いて…と想像すると、そうではない何かに時間を費やしたいと思いました。それで高校を辞め、半年ほど近くの自然農の農家さんを手伝ったのですが、農業は自分にはあまり合わなくて。その後はペンキ屋さんで働いていました。勉強がきらいなわけじゃなかったけれど、手に職を持って生きていく方法は学校で教えてもらえるわけでもないし、学校以外の選択肢がほしかったんだと思います。

その後、シュタイナー学園に編入されたきっかけはなんだったのでしょう?

自分は高等部が出来た最初の学年に編入したのです。当時の高等部はまだ学校法人ではなく、NPO法人のフリースクールでした。妹の同級生はシュタイナー学校に通っていたのですが、保護者の方から高等部が出来たから一度行ってみない?という連絡をもらい、体験入学(※現在は行っていません)で一週間通ってみたら面白くて、そのまま11年生に編入しました。(※現在は11年生からの編入は原則行っていません)なので、実は学園に通っていたのは1年半くらいです。

学園生活はいかがでしたか?
『やりたい』と思ったことは何でもやれる環境でした。僕がピアノを弾き、クラスメイトがチェロとバイオリンを弾いてコンサートを開催したり、12年の卒業演劇が終わった後も、他学年
交えた有志で劇をつくったり。学園祭ではあれもこれもとやりたいことが多すぎて、結果多くに手を出しすぎて迷惑をかけてしまうほど(笑)。1年半じゃ時間が足りないという感じでしたね。

充実した時間を過ごしながら、卒業後については何か考えていたのでしょうか?

卒業までに『これがしたい』というのは決まらなかったんです。音楽の古賀先生に『大学に行くの?』と聞かれて『大学は行かない』と言うと『何がしたいの?』と問われて『海外に行きたい』と言うと、ドイツにあるシュタイナー福祉施設のボランティアプログラムを教えてくれました。1年間ドイツ各地にあるシュタイナー関連の福祉施設でボランティアとして働き、生活費や住むところは提供してもらえるという制度でした。参加することを決め、ほとんどドイツ語もわからないままドイツに向かいました。自分にとってシュタイナー学園での時間は『進路を決める』ためのものではなく、やりたいことを見つけていく、その後押しをしてくれるような時間だったと思います。

 

卒業までにやりたいことは見つからなかった、という藤井さん。ですが、自分が「やりたくないこと」に対し妥協したりあきらめたりすることなく、望むもの・求めるものを探し続けるのには、明確な意思と自分を信じる力が必要です。そんな力にあふれた拓麻さんのドイツに渡ってからの生活、そして、パン屋という道を見つけるまでのお話を、後編では伺います。


ライター:中村暁野