将来保育士になりたいと漠然と思っていたのですが、もっと困難な状況を支え働きたい、という思いが生まれたんです

将来保育士になりたいと漠然と思っていたのですが、もっと困難な状況を支え働きたい、という思いが生まれたんです

17期卒業生 佐々木礼さん(前編)

佐々木礼さん
学園第17期卒業生の佐々木礼さん。現在、埼玉県の病院で看護師として働かれています。シュタイナー学園の学びに大きな影響を受け、看護師の道を志したという礼さん。前編ではシュタイナー教育との出会いから、学園で過ごした幼少期のお話を伺いました。

シュタイナー教育との出会いはなんだったのでしょう?

子どもを型にはめない学校に通わせたいという両親の意向があったようです。両親は働いていたので、わたしは地域の保育園に通っていて、とても楽しかったんです。当然まわりの子たちはみんな公立の小学校に進む中、わたしだけ違う小学校に行くというのが当時は嫌でたまりませんでした。シュタイナー学園の前身である三鷹のシュタイナーシューレの近くに引っ越し、通い始めました。いやいや通い始めた学校はとても楽しくて、すぐに大好きになりました。クラスは18人くらい。三鷹にいた頃はシューレの近くの公園で遊んだりしていました。

藤野に移転したのは何歳の時だったのでしょうか?

3年生の時に学園が藤野に移転となり、わたしたち家族も藤野に引っ越しました。借家暮らしだったのですが、大家さんが土地をたくさん持っていて自由に遊ばせてくれました。いつも野山を素足でかけ回っていましたね。

学校生活で印象に残っていることはありますか?

わたしのクラスは成長に伴い、いろいろなことが起こったのですが、その都度、親同士が協力したり、先生の愛情があったり、その分の絆ができたように思います。いろいろなことを経験して乗り越えて、8年生劇で「銀河鉄道の夜」をみんなで作り上げたことは印象に残っています。授業では歴史が好きでした。教科書がないので、先生の話を聞き、ノートに書き写していくのですが、ノートを自分で作っていくことが楽しかった。あとは、手の仕事の授業も好きでした。靴下を編んだり、ブラウスを縫ったり…。当時私が縫ったブラウスを今は母が着ています(笑)。

礼さんの学年はちょうど高等部が法人化された学年だったと聞きました。

そうなんです。出来たばかりで何も揃っていなく、自分たちでペンキを塗ったり校舎を改修したりしていました。人数も10人くらいと少なくて、外部に進学する人もいましたが、その分上下の学年との関わりもすごく深く、ある意味でとても恵まれた環境だったと思います。

高等部での学びはどのようなものだったのでしょうか?

高等部の授業では実習がたくさんありました。中でも1人で3週間福祉施設で働く福祉実習は自分にとって、とても大きなことでした。私が行ったのは障がいを持つ子どもたちのためのシュタイナー療育センターなのですが、その実習の後『看護師になりたい』と思ったのです。将来保育士になりたいと漠然と思っていたのですが、もっと困難な状況を支え働きたい、という思いが生まれたんです。

のびのびとした幼少期を経て、シュタイナー学園の学びの中で自分の道がパッと見えた、という礼さん。卒業後は国立病院機構横浜医療センターの看護学校に入学されます。後編ではそれまでとは全く違う環境にとまどいながらも学んだ看護学校時代、そして看護師として働いている現在について伺います。

後篇へ


ライター:中村暁野