子どもに負い目を感じず生きていきたいなっていう思い。それが自分の中で暮らしを変えたいと思ったきっかけの一つでもあったと思います

子どもに負い目を感じず生きていきたいなっていう思い。それが自分の中で暮らしを変えたいと思ったきっかけの一つでもあったと思います

シュタイナー学園保護者 池辺潤一・澄さん(後編)

池辺潤一さん・澄さんご夫妻 
相模原市緑区芝田地区在住。潤一さんは建築家、澄さんは天然酵母のパン屋を営む。学園の保護者である池辺さんご夫妻。建築家である潤一さん、天然酵母のパン屋を営む澄さんのインタビュー後編をお送りします。田舎暮らしを思い描いていた時に藤野、そしてシュタイナー学園と出会い、家を建てることになった経緯を伺った前編から、後編では実際の暮らしで感じたことやご夫婦の変化について伺いました。

実際に藤野での生活が始まり変化はあったのでしょうか?

潤一さん 僕はここに暮らす前は主に都内の店舗設計をメインの仕事にしていたのですが、そういった仕事は流行りとともにリニューアルされてなくなってしまったり、自分の仕事が消費されていくという虚しさを感じ始めていました。同時に子育てをしているうち、消費社会の未来が不安になり『何かしたい』という思いが湧いていました。自分が何かをしても大きなことは変わらないのかもしれないけど、それでもせめて子どもに負い目を感じず生きていきたいなっていう思い。それが自分の中で暮らしを変えたいと思ったきっかけの一つでもあったと思います。ここにやってきて感じたのは自然っていうのは、変化しながらもずっとそこにあるもの、という感覚。そういうものを見ていたらますます気持ちは強くなっていって。結果、店舗設計から人の暮らしに沿った住宅設計をメインにするようになりました。暮らしとともに仕事も変わっていったんです。

澄さん 彼はここにきて、すごく変わりました。以前はご近所付き合いらしいことなんて全くしていなかったような人が、地域の方々と深く繋がって関わるようになり、自治会の副会長までやったりして。

 

それぞれが得意な部分で助け合っていけるコミュニティがここにはある。コミュニティがセーフティーネットなんだなって。

 

移住を考えた時に、地域との関わりを不安に思う方も多いと思うのですが、どうして深く関わるようになったのでしょうか?

澄さん この家を建てている間から地域の方が本当に親切だったんです。作業をしてたらハシゴを貸してくれたり、釣ったばかりのワカサギを持ってきてくれたり、こんなことってないよねえってすごく新鮮でびっくりして。

潤一さん 山暮らしをするんだから、もしなにかあった時にも生きていけるように色々準備しないとって思っていたんだけど、ここに来て考えが変わったんです。自分たちでなにもかもをやらなくても、それぞれが得意な部分で助け合っていけるコミュニティがここにはある。コミュニティがセーフティーネットなんだなって。例えば藤野に来る前も地域のお祭りに行ったりすることはあったけど、それは誰かが用意してくれた場を楽しみにいっていた。ここでは、自分たちで自分たちをお祝いするのがお祭り。自分たちがやらなければなくなってしまう。でもそうやって関わることで、いいコミュニティを作っていけるっていう実感がある。関われるんだ、という喜びがあったんです。

核家族のストレスや負担が問題になっている中で、とてもすてきなことですね。

 

自分がしたいと思った暮らしと、シュタイナー学園で言われていることの根っこは同じなんだなと気付いたんです。

 

澄さん でも最初の1、2年はわたしはとまどうことも多くて。藤野というか、シュタイナーについてほとんど知らずに学園に入学して、自分ができないことや知らないことばかりにフォーカスを当ててしまって辛くなってしまったんです。でも通ってる娘はとても楽しそうだし、先生や在校生の保護者の方達に『無理しなくていいんだよ』と言ってもらううちに、シュタイナー学園での生活以前に、この藤野での暮らしをどうしたいのかもう一度しっかりと持とうというところに立ち返りました。そうしたら自分がしたいと思った暮らしと、シュタイナー学園で言われていることの根っこは同じなんだなと気付いたんです。そう思ってから自分らしく暮らしを楽しめるようになっていきました。

パン屋さんとしての活動はいつ頃からはじめられたのでしょうか?

澄さん パンを焼き始めて2年目くらいに自分でもおいしいな、と思えるパンが焼けるようになりました。最初はそれこそ学園の繋がりで、うちにも一本焼いて欲しいとお願いしてもらって。数が増えて週に1回配達を始めてたんだけど、20本くらいを配達するのにすごく時間がかかっちゃって。届ける先々で話し込んじゃうから笑。そのうち藤野のレストランや自然食品のお店でも取り扱いたいって話をもらうようになり、卸しをするならもうパン屋になっちゃおうかってね。

潤一さん ほんとうにたまたま、家を設計した時に用途を決めない6畳の空間を作っていたんです。だからそこをパン屋の空間に改装できた。

澄さん 最初は卸しと週1回お店を開けるという形で始めて、今は週2回のお店と、あとは週末のイベント出店をしたりという形でやっています。

週2回というのはどうしてその形にされたんでしょうか?

澄さん レーズンの酵母をおこしてパンを焼いているんですけど、自分が無理をしていると酵母もよくなくなってしまう。子どもや学園との関わりも大事にしたいし、週末にイベント出店するというのはすごくしたいことでもあった。そう考えると残りの5日の中で楽しく出来そうなバランスは2日だなと思ったんです。やっぱり無理をすると結局うまく回らなくなってしまうので、自分が心地よくできるようにすることって大事だと思って。

 

この地域や土地が大切にしてきたものを知って、大切にすること。そうすることで新しいものごとも受け入れて大切にしてもらえる。

 

ご夫婦ともに大きな変化をされてきて、今ここでの暮らしで得たことを一つあげるとしたら何でしょうか?

潤一さん 誰かにやってもらうんじゃなくて自分がやるんだ、と思えたことかな。そうして物事に関わってみたら、何かしら変化っていうのは起こせるんだという実感を得れたこと。

澄さん 人と人が関わっていく時に、自分の大切なものを相手にわかってもらうには相手が大切にしていることを知って、大切にしようとすることが大事なんだなあっていうこともわかりました。この地域や土地が大切にしてきたものを知って、大切にすること。そうすることで新しいものごとも受け入れて大切にしてもらえる。ここは色々な人が関わり合って繋がっている、そんな暮らしができる場所だとおもいます。

暮らす場の変化をきっかけに、それぞれの仕事まで大きな変化をされた池辺さんご夫妻。お二人のお話は働くことと生きること、仕事と生活が地続きとなった、矛盾や妥協のない暮らしの魅力に溢れていました。


ライター:中村暁野